神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

粛々と真理に生きる

 家族行事が連日でついブログの更新がおろそかになってしまい、すみませんでした。

 さて、そのようにしてどんなに充実した連休を過ごしていても、つい残りの日数のことを思って心を曇らせてしまう。図星(の私のような人は多いの)ではないでしょうか。

 これは一種のクセであり思考回路の痕跡でもあり、正しい知識を土台に新たな神経回路を太く構築して、いつでも朗らかでいられるように挑戦を続けたいと思います。

 土台となる正しい知識はこういうものです。「あなた方がこうして地上に生を享けたのは、その内部の神性を少しでも多く発現させるためです。」段々と神のような人(神人?)へと進化していく。そのために慈悲・慈愛・寛容・協調・奉仕を実践していきなさいということですが、その心はというと神の愛を表現することです。

「完全なる愛は恐怖心を駆逐します。知識も恐怖心を駆逐します。恐怖は無知から生まれるものだからです。愛と信頼と知識のあるところに恐怖心は入り込みません。進歩した霊はいついかなる時も恐れることがありません。なんとなれば、自分に神が宿る以上は人生のいかなる局面に遭っても克服できぬものはないとの信念があるからです。」 

 自分が神である以上はなんでも克服できる、というのはもっともな話であって、この引用部分の「なんとなれば」以降は前半部分とちょっと齟齬を来している気がします。大変大事であり、また大変ありがたいのは完全なる、つまり神の愛のほうです。

 神の愛とはどのような愛であったでしょうか。「愛の最高の表現は己を思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、全てのものを愛することができること」

「宇宙の大霊は無限なる愛であり、自己のために何も求めません。向上進化の梯子を登っていけば、己のために何も求めず、何も要求せず、何も欲しがらぬ高級霊の世界にたどり着きます。ただ施すのみの世界です。」

 これが完全なる愛であり(真理に関わる)知識です。己のために何も求めずただ施すのみだから恐怖を駆逐するのです。施すのみだから対峙する局面を克服する必要さえないかもしれません。そのような人へと進化するように我々は導かれています。

 休みが明けることを思って心が塞ぐのは、自分のために何かを求めるているからでしょう。別にグダグダでめちゃくちゃで上司やお客から怒鳴られたとしてもいいじゃないですか、神の愛実践を第一にするかぎり絶対大丈夫ですから。

(「シルバー・バーチの霊訓1」8,9章)