神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

時間泥棒に捕まるな

 大昔に読んだミヒャエル・エンデの本に時間泥棒というのが出ていました。急にそんなことを思い出したのは、今の時代スマホが時間泥棒になっていると気づいたからです。なんと朝家の玄関から出発するところからスマホにかじりついている人がいます。こんなことが続けば自由な思考が奪われてスマホ形式の考え方しかできないように飼いならされてしまうのではないかと思います。

 そうでなくとも地上には何重にも時間泥棒の罠が仕掛けられています。一番大きな罠は死んだら終わりという罠。あるいは老いたらやりたいことができなくなってしまうという罠。そんな罠にはまると若さが失われるのではないか、傷つくのではない、死んでしまうのではないかと心配になってきます。しかもそれに気づかない内にそう思わされているのが厄介なのです。

「人間は物質の中に埋もれた生活をしているために、バイブレーションが低くなっております。朝目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちから、あれやこれやと煩わしいことや心配事の波に飲み込まれていきます。大きい悩み、小さい悩み、真実の悩み、取り越し苦労に過ぎぬもの、等々いろいろあります。いずれにせよ全ては一時的なものにすぎないのですが、そういうものに心を奪われてしまうと、背後霊が働いてくれている事実を忘れ、あなた方の思考の流れの中から霊的要素が締め出され、霊的流入を遮断する一種の壁をこしらえてしまいます。」(「シルバーバーチ名言集」12章)

 時間泥棒は心配の形でやってくることが多いかもしれません。しかしそれだけではなく、小さな楽しみやちょっとした珍しいものといった形で現れて、私たちの自由を盗むかもしれません。