神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

語れば語るほど遠ざかる

「私はそういうラベルが嫌いなのです。」霊訓ではこのようにやや感情的な表現は非常に珍しいのです。ということはそれだけ「そういうラベル」が摂理から離れていることを示しています。

 ラベルとは何でしょう。「文字というのは人間がこしらえたシンボルにすぎません。(中略)霊的なものはあらゆる言語を超越しています。大霊は無限です。限りある一冊の書物の中に圧縮できるものではありません。」

 大霊は無限、真理も無限・・・だからすべてを人間が知りようもなければ語りようもありません。人間が人間なりに捉えた部分を非常に制約の多い言葉で何とか伝えようと四苦八苦できるのみです。言葉で全てを伝えられたと決め込んで、それをラベルで一括りにして放ったらかしにしていると真実の姿から遠く離れていってしまいます。言葉で表現するだけでなく行動し、祈り、瞑想し、受容的でいることが大事です。

「私は霊的な原理にしか関心がありません。いくつかの霊的原理が受け入れられ、用意の整った人によって実行に移されれば、私は、それこそが地上生活でいちばん大切なことであると信じます。」

(「シルバーバーチ最後の啓示」136頁)

 すべての真理を知り尽くしたいという欲望を神は人間に与えられたので、真理の追求は決して悪いことではなくむしろ生きる上での糧となります。しかし人間にはさらに使命が与えられていて、それは知り得た霊的原理を実践することです。こちらがよほど重要です。なにせ神がそう意図されていることですから。

 魂の欲求より使命の方が大事なんです。