神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

独り摂理に生きる

 霊訓に時々、「愛は摂理の成就」という表現が出てきます。これだけだと意味がもう一つわからないのです。そこで今日の引用です。

「バイブルにも愛とは摂理を成就することである、とあります。愛とは摂理のことです。神の御心です。なぜなら、神そのものがすなわち愛だからです。したがって神の御心に適った生き方をしていれば、それは愛を表現していることになります。」

 摂理の成就とは単純に考えれば神の完璧な法則のもと森羅万象がそれを心から受け入れ、従うことによって共存共栄に到達するということでしょうか。神を擬人化すると、それが神の心、意図と捉えられます。

 愛は神の御心なのです。なんの条件も混じりっけもない「愛そのもの」がすなわち神の御心なのです。

 そんな神の愛に気づかず受け入れようとしないのは、自由意志を許された人間くらいです。摂理の成就はただ人間の態度と行動にかかっています。

 「私のいう”愛”とは慈悲の心、奉仕の精神、犠牲的精神、要するに自分より恵まれない者のために自分の能力の範囲内で精一杯援助しようとする心を言います。自分のことをかえりみず、助けを必要とする人のためにできる限りのことをしてあげようとする心、それが愛なのです。」

 ところで、世の中の人がみんなこんな熱い人ばかりになったらちょっと(というか、かなり)疲れるのではないのかと思うのですが。私のような人間はそういう場から一歩引いて独りで居たがると思うのですが、そんな孤独な人は摂理に違反するのでしょうか。

 私はそうは思いません。独りでいても周囲の環境や自然、遠くにある人のことを静かに思って丁寧に生きようとすることは、神の御心に少なくとも反しはしないと思っています。もちろんそれが私の現在の霊性の限界ということでもあるのですが。

(「シルバー・バーチの霊訓8」5章)