神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

長い長い目で見て瞬間を捉える

 せっかく読んでくれる人がいるのだから、なんとか書き続けたい。これも真理について書く動機としてありだと思いたい。

 世の中はさらにひどい円安になって、JTBの調べでこのGWに一泊旅行さえしない人が4分の3にのぼるらしいです。とはいえ出かける人はいるわけで、まるで散歩するかのように気軽に海外旅行する人も大勢おられると思います。

 そういう人を見るといつも少々のうらやましさと、大きな気後れを感じますが、自分の中でお金の使い道の優先順位がありますし、これはもっといえば自分の性格ですからあれこれ考えてみても仕方のないことです。いつか行ければいいし、体が不自由になってしまえば死んでから行けばいいと思っているのです。そんなのまったくのナンセンスなのですが、もしそう考えることができれば最強です。

 どんなに不遇の人生でも永遠の霊的人生における一コマにすぎない、そう捉えることにつながっているからです。

 


(質問者):残念なことなのですが、苦難にあうと不幸だと思い、邪険になり、卑屈になっていく人が多いようです。

シルバーバーチ):それは結局のところその人の人生に確固とした土台がないからです。人生観、宗教観、それに物の観方が確固とした知識を基盤としておれば、いかなる逆境の嵐が吹きまくっても動じることはないはずです。これも人生の一コマだ、すべてではなくホンの一部に過ぎないのだという認識ができるからです。

(「シルバー・バーチの霊訓8」5章)

 


 長い、ひたすら長い目で、ということはつまり死を超えて永遠の視野をもつことで山あり谷ありの人生を達観できます。非常に気楽です。しかし一方でどんなときも永遠の現在であるととらえることで、この瞬間のどんな体験も学びも、永遠の中で意味があるとわかっておくことも大事です。