神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

神の国はどこにある

「永遠の命」これはただの言葉だけの見果てぬ夢、幻ではありません。真実であり、しかも神の分霊としての人間全員にもらすことなく与えられている、神からの最高のプレゼント、神のヘリテージ(遺産)です。遺産(霊訓ではよくこう表現されますが)といっても神は死んでいませんが。

 この神からの最高の恵みをもっと見つめ実感し用いていきましょう。

 あなたは永遠に生きるのです。まるで永遠に生きるかのように、ではなく事実永遠に生きるのです。それを当然のこととして生きるのです。

 もうすでに十分与えられているこの恵みを、しかし人間は信じられず、手にしているはずなのに、無い無いと思って、欲しい欲しいと願い続けつつ本音では諦めています。そこで死ぬことを前提に生活を設計し社会を作りました。それは死ぬまでの短い間になんとか豊かになり、できるだけ得をしようとする生き方につながります。もっと早くもっと多くと求めるせわしい生き方です。それが多くの病気をもたらし心配の念を人間の心に植え付けました。

「残念ながら現代のせわしい生活機構が緊張とストレスと過労を生んでおります。それが調和を乱すのです。霊が病み、精神が病み、それが肉体に病的症状を生み出します。」

「心配をするという精神の病がある限りは、また潰瘍が生じます。心配をしないように精神を修養するしかありません。」

 永遠の命に気づくのに精神の修養は必要でしょうか。修養というとつらく苦しいことのようですが、事実そうやって精神を鍛えることが必要だとしてもその先に待っているのは一種のアハ体験です。なんだ、そういうことだったのかという物事の捉え方の一大変化です。

「考え方、物の見方、大切なものと大切でないものの判断力、焦点の置きどころ、視野の持ち方、こうしたものが狂っているのです。大切なものとどうでもよいものとの区別ができるようになり、基本的な霊的真理の大切さが分かるようになれば、人間を構成する三つの要素が調和して、健康になります。」

 精神を鍛える一辺倒ではなく永遠の命=霊に気づき、見つめ、生きるようになる。ここに神の国は実現するのではないでしょうか。

(「シルバーバーチ最後の啓示」137,138頁)