神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

”大事なこと”には2種類ある

 世の中にはファスト映画と呼ばれるものの需要があって録画した映画を早送りで見る人も多いそうですが、まさしく私もそうなのでちょっと申し訳なさを感じます。とはいえ好きなジャンルはきちんと見ます。私が早送りするのはヒューマンドラマです。辛気臭いものや特に男女のイチャイチャする話はさっと飛ばしたり途中で消したりします。しかし20年とか30年とか前の映画はお約束のようにそういう裸のシーンが入っていることが多いです。

 男女関係とか人間関係とかそんなに大事か?と思うことがあります。先輩たちは人間関係は大事だとおっしゃって人付き合いの苦手な人をさも人間失格のように評したりします。でもそれはどういう理由で大事なのでしょう。言い伝えでそうなっているからでしょうか?それが道徳だから?人としてのあるべき姿だから?それとも、人付き合い苦手=利己主義者ということになるから?

 霊的真理でも大事なものについて、慈悲・慈愛・寛容・協調・奉仕と書かれています。それでも男女のイチャイチャやベタベタした親子関係とはだいぶ違いますが。真理ではなぜそれが大事かというとそれらを通して霊性が高められるからで、そちらの方に主眼を置いているのです。

 よりよく人生を生きるために本当に大事なことはそんなに多くなくて、突き詰めれば一つかもしれません。しかしそれをどういう意味合いで捉えているかによって2種類の”大事”があるかもしれないなと思います。

 一人前の社会人として、真っ当な大人として生きるのに大事という意味と、生きるとはそもそも何のためであるのか、その第一目的の大事さという意味の二つです。

 これらをすっかり別々に捉えるべきとまでは思いませんが、少なくとも混同しないほうがいいです。混同しているケースが非常に多いような気がするからです。そして霊的真理ではもちろん後者が断然重要です。なんとなればそうしている限り前者の意味での大事も結果として付いてくるからです。

「大切なのは人のために役立つことをし、可能な限り最高の理想へ向かって生きることです。(中略)私が関心をもっているのは、霊的自我と、それをどのように発揮しようとしているかです。」

(「シルバーバーチ最後の啓示」54頁)