神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

私たちは結局どこへ行くのか

 大きすぎるテーマなのですが、どうもこれに関連して書くことが霊的関係者(霊)から求められているようなので、とりあえず書いてみます。

 咳をしても一人。ではないですが、夜中にくしゃみをしてああ自分はなんて孤独なんだと感じることがあります。人はみな結局一人になっていきます。

 人を愛することは大事です。しかしそれだけだと熱愛中はいいとしてもやがて大きな悲しみに浸ることになると思います。それはいずれ離別することになるから。心から愛し合う人は霊界で再会するということなのですが、それは今はっきりとその人のことを意識できているからです。またそうやって再会できたとしてもさらに時間が経てばどうなっていくでしょう。

 自分の人生を振り返ってみてもあのとき出会ったあの人は今どうなっていることだろう、と思う人が山ほどいます。さらに切ないのは思い出せそうでどうしても思い出せない人。そんな人とはもうどうしたってつながることはできません。もっと言えば、全然記憶から抜け落ちて決して思い出せない人も多いでしょう。そんなことを思って私は、”とてつもなく”悲しくなることがあります。人付き合いの少ない私でさえそうですから、学校の先生なんかもっとすごいことになりそうです。また、たとえまぎれもない”その人”であるとわかっても、子供から大人へと成長し、かつての愛らしい面影がすっかり消えてしまっているなんてこともあるでしょう。あんなに可愛らしかったあの子はどこへ行ってしまったのだろうか、と。

 常に今、周りにいる人を精一杯愛すればいいということかもしれませんが、それだけではふと思い出すように”とてつもない悲しみ”に襲われるかもしれません(もちろん襲われないにこしたことはありません)。

 人々を愛することを通じて、神を愛することに心を向けておく。そこまでしたほうがいいのではないでしょうか。そうすれば実に安定して平安と落着きを得られるように思います。そう、結局すべての人は神の愛の中へと帰っていきます。そのことをいつも心の片隅に、悲しみからの避難所として、置いておきたいものです。

「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。(マタイによる福音書


「あなた方は悲しみに暮れている人、病気に苦しんでいる人、悩みを抱えている人、生きる目的を見失った人に解答を授けることが出来ます。崇高な霊力のチャンネルとして、そういう人々の霊性に働きかけて、本来の機能を取り戻させることが出来ます。それは霊能者にしか出来ない仕事です。大霊の子らに奉仕することによって大霊に奉仕するという特権を授かっているということです。」

(「シルバーバーチ最後の啓示」61頁)