神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

私の「祈り」

「祈り」と括弧書きしたのは、個人的な祈りの内容ではなく、私なりの祈り方について書こうと思った次第です。 

 人間は誰でも霊的成長しようとすると、まず倫理というか正しい生き方というか、そういったことに関する知識いわば真理を知って理解することから始まり、それを生活の中で実践する中で、やがて大いなるもの、神や摂理に対する絶対的な信頼を心の中に構築し、安心立命の中で生きていくことになります。それは神の道具、霊力の通路となることでもあり、霊訓にしばしば登場する心霊治療家の生き方とも重なります。

ーーー治療家が患者に対して個人的に特殊な感情を抱くのはいかがでしょうか。

「それはいけません。霊力の中継者である治療家が個人的感情に動かされると、霊力の流入が阻害されます。通路は常に無垢の状態でないといけません。少しでも多くの霊力が流入するようにとの祈り以外のものがあってはなりません。あくまでも道具なのですから、自分勝手な考えをさしはさむことは許されません。霊力の通路であること、それが治療家の仕事です。」(「シルバーバーチ最後の啓示」71頁)

 進化した人の祈りは常に、少しでも霊力が流れ出ますように、そして神の意志が実現しますように、この一択です。で、そんな祈りを私はもっと短くできるのではと思っています

 以前は”いつも笑顔で感謝、人のため”と祈っていましたが(それにこれは個人的な努力目標です)、それもまどろっこしく今では”愛(がありますように)”の一文字です。”愛します”ではありません。その努力は必要ですが誰かのために祈る言葉ではありません。そうではなくて神の愛が流れる通路となる。”愛”の祈りはそういうモードになる鍵だと思います。だから苦しい時も難しい時も、可愛そうでなんとかしてあげたい時も、哀れでならない時も、”愛”です。これでいいと思っているのです。