神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

すべての罪は自分に対する罪

ーーー中絶は創造主に対する罪になるのでしょうか、それとも生まれ出ようとした霊に対する罪なのでしょうか。あるいはその双方に対する罪なのでしょうか?

「中絶は殺人行為です。その認識のもとにお考えになればよろしい。が、動機となる事情にはやむを得ないものがあることも私は理解しております。」

(「シルバーバーチ最後の啓示」94頁)

 最近その使い方が気になっている言葉の一つが”謝罪”です。なにか悪いことが起こると関係者が会見を開いて頭を下げて謝罪しますが、本当にその人の責任で起こってしまったことなのか、どうも定かでないケースが多い気がするのです(逆に歴史に絡む問題で明らかに責任があるのに謝罪しようとしない人もいますが)。それなのに何でもかんでもすぐ謝罪します。それでいいのでしょうか、何かもっと他にすることがあるのではないでしょうか。それが面倒だから謝罪することで済まそうとしているのではと思うこともあります。

 人が誰かに悪さをしたとき、その人に対して罪を犯したことになりますが霊的視野からするとその”誰か”の部分がぼやけてきます。人間みんなお互い様で迷惑を掛け合ったり許し合ったり学び合ったりしながら成長していきます。結局どんな大きな罪も霊的スケールで見るとそういうことです。となると罪とは摂理違反のことですから、それが誰に対するものかというと神はもちろんですが、むしろ自分自身に対してということになるのではないでしょうか。摂理違反を犯して成長が遠回りになることで、一番困るのはやはりその人自身だと思うからです。