神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

束縛された心が束縛する

「地上生活の目的は(中略)そうした(お互い助け合う)生き方の中で霊的に、精神的に、そして物質的に、あらゆる束縛から解き放たれることです。いかなる形にせよ、束縛されるということは、いかなる原理に照らしても間違いです。」

 物質的、精神的、霊的に束縛のない、実に自由に活動する人々をどこに探せば見つけられるでしょう。大人にはそれは難しい。でもその雛形を見つけるとしたら子どもたちが思いっきり駆け回り夢中で遊んでいる公園ではないでしょうか。私は子どもたちで賑わう公園を眺めるのが大好きなんです(といっても不審者扱いされないようにさっさと通り過ぎますが)。子どもたちは(基本的に)心配を抱えるようなことはないですからね。

 しかしその子らも段々周りを意識するようになって落ち着いてきます。子供時代というのは自由を学ぶ時期なのかもしれません。そうして大人の様々なしがらみに耐える生活へと入っていきます。しかしそれで自由を失ってしまうわけではありません。子供のように友達とつるむことはありませんが、大人は目に見える仲間だけでなく精神的な(願わくば神との)つながりに支えながら生きていきます。そうすれば物質的な束縛の中でも心は自由を保つことが出来ます。

 もし心までが束縛されてしまうとしたら、それは神の意図に反します。しかしこの一種の病には伝染性があり束縛された心はさらに他者を束縛しようとしはじめます。だからこの病に限ってはゼロをめざさないといけません。自分自身を振り返って不自由なところはないでしょうか。霊訓にはこうも書いてありますよ。

「あなたがたはこれからいろいろと学んでいかねばならない子供と思えばよろしい。前途には永遠の時があるのです。何も、そう焦ることはありません。」

(「シルバーバーチ最後の啓示」113,117頁)