神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

愛を発揮する再びの決意

 さらっぴんの、大霊から分霊したての魂が地上に誕生してくることは、今の日本では少数でしょう。みんな再生人生を歩んでいるのであり、その誕生に際し、地上で生きるからには、と決意を持って、指導霊との合意の上で生まれてきているのです。それはどのような決意か。細かく見ていけば人それぞれで一括りには出来ないかもしれません。しかし、基本の土台が成長であることからすると、そのために愛を発揮することということができます。私たちは誕生の際に、さあ、地上で愛を発揮するぞと決意して生まれてきているのです。

「問題は、生まれる前に自覚した決意が必ずしも誕生後にそのまま顕在意識にのぼってくるとは限らないということです。それが危機一髪とか、人生の逆境の中で万策尽き果てた時などに表面に出て、一気に魂を目覚めさせることがあるわけです。啓蒙の波が一気に押し寄せ、誕生に際して決意した目的に目覚めるのです。」

 時は今クリスマスシーズンということで巷には愛し合って満ち足りた感じの人々の姿が目に付きます。中にはもっと精神的に神との絆をしっかり自覚して愛と霊に満ち力強く歩む人もいることでしょう。しかし中にはやはりそのような愛の形から置いてかれているように感じ、侘しさ、情けなさ、居心地の悪さ、居場所の無さに苦しむ人もいるかもしれません。実はそのようなピンチがそのままチャンスになるのです。愛が欲しい時こそ愛を発揮すべき時です。

「すべての宗教の基盤は愛です。そして愛は大霊の一側面です。(中略)大霊に近づくための行為、絆の強化、霊力の流入の実感、その結果として生まれる調和、内的な輝き、静寂、平穏、泰然自若、それが宗教です。そうしたものを生み出さないようでは本当の宗教とはいえません。大霊とのつながりの自覚です。地上生活でそうしたつながりを自覚した時、それは内部の神性に目覚めたことになります。それはますます大きな発現を求めるようになり、誰に対しても分け隔てなく愛と慈しみの心を向けるようになります。」

 自己憐憫を捨て冷静に周囲を見ると私たちが愛を発揮すべき人々がいることに気づきます。

「愛と慈しみは神の属性であり、神に似せて作られた人間のすべてが発現すべきものなのです。」

 愛を求める人はみな愛を発揮するチャンスを神から与えられているということなのです。

(「シルバーバーチ最後の啓示」127−129頁)