神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

ひらめきの後の訓練

 人それぞれ不安の種は様々ですが、たとえば勤め人であれば職場の人間関係や、新しいスキルの習得などを思って日曜には気が重くなるかもしれません。しかしそうしたことに対処するのも、生きるかぎり脳を開発しなくてはならない人間の宿命と言えます。ですので取り組まねばならないのは当然としても、どうも気が重くなる、これは何とかできないものだろうかと思うわけです。

 私は、不安が自分が傷ついたり死んだりすることに対する恐れを誘発するからそのように感じるのではないかと思っていましたが、脳の働きで言うとあまり使われていない脳神経を働かせることにともなう一種の抵抗と見なすことができるようです。つまり無知が不安を生み出すと言えます。

「不安は無知という暗闇から生まれます。勇気は自信から生まれます。すなわち自分は神であるとの真理に目覚めた魂はいかなる人生の嵐をもってしても挫かせることはできないとの自信です。」(「シルバー・バーチの霊訓5」4章)

 自分は神なのだと目覚めてもそれで全知全能になるわけではありませんが、自分は物質世界におけるあらゆることに打ち勝つことのできる永遠の霊なのだと自覚することで未知の嵐にも自信をもって望むことができます。・・・そうであれば何事も余裕ではないか、と一気に楽になれるでしょうか?なれませんよね。目覚めるだけでは不十分で、ようやく見つけたその思考経路を従来のものに上書きできなければ不安は消えません。

 自分は神であると自覚するために乗り越えなければならない大きな障壁が、何度も何度も書いて申し訳無いのですが、自分は死なないと心から信じられるかどうかです。もちろん肉体は衰えてやがて死にます。しかし意識は不滅であり、ますます盛んになる一方なのです。そのことに目覚めるだけでなく当たり前と思えるようになる訓練が必要なのです。