神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

思念における主人と奴隷

「あらゆる病を治し、あらゆる困難を克服する力を人間の一人ひとりが宿している事実を地上人類はいまだに悟っておりません。心身が衰弱した時に引き出せる霊力の貯蔵庫を一人ひとりが携えているのです。」

 必要な時に必要なだけ引き出すことのできる霊力の泉は、すべての人に備わっているのに、その事に気づかないのは、そうなるほどには心身が衰弱しない人が多いからかもしれません(もしもそれほど衰弱してしまうと泉の存在を知らない人がそれを自力で探すのは難しいでしょう)。

 その人の根本的価値観と相容れないであろう”霊力”に頼るくらいならもっと手近で巷に溢れた何かでやりすごそうというわけです。

「生活は行為だけで成り立っているのではありません。口にすること、心に思うことによっても成り立っております。行為さえ立派であれば良いというものではありません。むろん行為がいちばん大切です。しかし口をついて出る言葉、心に思うこともあなたの一部です。」

 人が困難、障害にぶつかった時どのように思い、語り、行動するか。そうする動機はいったい何か。何か確信があってそうするのか。そこをつきつめると案外脆い土台の上に考え語り行動していることに気づくのではないでしょうか。

「より大きな自我と接触する方法は神の摂理に則った生活を送ることです。が、それを実行する人が何人いるでしょうか。」

「人間は往々にして思念の主人ではなく奴隷になっている、とはよく言われることです。」

 さまよう魂が最終的にたどり着く揺るぎない土台は神の摂理をおいて他にありません。

(「シルバー・バーチの霊訓4」1章)