神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

種まきと刈り取りの摂理

 今ではすぐ問題視される行為も、昔は相当ひどいことでも被害者が口をつぐんだり周り(文春を除く)が騒ぎ立てなかったせいでスルーされることも随分多かったでしょう。

 今では社会全体の意識が高まり同時代のうちに裁かれることも増えてきましたが、まだバレなければとか、行動に移しさえしなければと考える人もいるかもしれません。が、そんなことは霊的視野に立てばありえないことははっきりしています。

「利己主義のタネを蒔いた人は利己主義の結果を刈り取らねばなりません。罪を犯した人はその罪の結果を刈り取らねばなりません。寛容性のない人、頑なな人、利己的な人は不寛容と頑固と利己主義の結果を刈り取らねばなりません。この摂理は変えられません。永遠に不変です。」

 バレなくても摂理は働きます。だから根本的に意識を作り直す必要があるのです。最初から神性に沿って考え行動するのが、実は一番ラクでお得なのです。

「霊的成長は思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることをとおして得られます。言いかえれば内部の神性が日常生活において発揮されてはじめて成長するのです。邪な心、憎しみ、悪意、復讐心、利己心といったものを抱いているようでは、自分自身がその犠牲となり、歪んだ、ひねくれた性格という形となって代償を支払わされます。」(「シルバー・バーチの霊訓4」1章)