神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

大事なことを見定める

 真理を人に伝えていくにあたって、その真髄、もっとも重要な知識の周辺のどうでもいいことが邪魔をしている気がします。

 真理を霊的真理と言うことがありますが、その霊という言葉に引っかかる人がいます。死んだ人が蘇る、幽霊が語る、そんなことは馬鹿げているし信じない。でもそんなことは信じなくていいのです。そんなことは本当に大切なことに比べたらどうでもいいことです。

 それと関連しますが、人は霊として永遠に生きる、ということも良心的に言葉として理解できても実感を持つことのできる人は少数でしょう。でもそれも無理に信じる必要は全然ありません。

 神という言葉に不信感を覚え拒絶する人も多いでしょう。それも口にする必要はありません。私は好きですぐ使ってしまいますが、真理を伝えるのに別に無くても困りません。

 では、何が本当に大事な、真理の真髄かというと、何もかもが摂理(法則)なのだ、ということです。

「私たちの目的は摂理を説くことでしかないのです。この世には大自然の摂理しか存在しないからです。それをあなた方が宗教と呼ぼうと科学と呼ぼうと、あるいは哲学と呼ぼうと、それはどうでもよいことです。」

「地上世界が神の摂理に適った生き方をすれば、その恩恵がもたらされます。摂理に背いた生き方をすれば、良からぬ結果がもたらされます。前者は平和と幸福と豊かさをもたらし、校舎は悲劇と戦争と流血と混乱をもたらします。」

 霊も、永遠の命も、神も語らず信じなくてもかまわないのです。大事なことは摂理を知って、それに適った生活をすることであり、それによって戦争と悲劇と混乱を廃絶し、平和と幸福と真の豊かさを実現することなのです。

(「シルバー・バーチの霊訓4」1章)