神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

誤った教義の歴史の"一”

 たとえば数学の公式や歴史の年号のようなただの知識も、それがあまりに生活に密着し周囲の人も口々に語りだして常に考えさせられるようになると、日常生活、人生を縛り始めます。もしそれが誤ったものだとしたら大きな損失、障害になってしまいます。

 今朝もあれこれと心配になるのは、孤独の問題や世界の特に貧しい国々における食糧不安、そしてALSです。健康に過ごしてきた年配の人でも突然発症して余命数年とか宣告されるといいます。とても他人事とは思えなくなってしまいます。こういった困難に冷静に対応するよりも真っ先に大きな不安や心配、恐怖に襲われるのも実は誤った教義が原因なのです。人間は肉体の消滅をもって終わり人生はそこで断ち切られ、個性は断絶して後には何も残らない。そう信じているから不安や恐怖に苛まれます。これが誤れる教義の”一”です。

 人間は霊であり何事があっても永遠に生き、そこには無限の可能性がある。このことを真の知識の”一”に置き換えて新たな歴史を歩みださなくてはなりません。

「今わたしたちが携わっている仕事の途方もない重大な意義を忘れてはなりません。地上の無数の人間の魂を束縛し抑圧してきた誤った教義の歴史を一から書き直そうとしているのです。

 本来ならば肉体と精神と霊の調和が生み出す生きる喜びを味わい、自分がいかなる存在なのか、いったい何者なのか、いずこへ向かっているのかを理解することによって得られる豊かな余裕の中で生きられるものを、迷信に等しい教義が、基本的な霊的真理すら理解することを不可能にしてしまったのです。」

 霊的自我に目覚めることがどれほど素晴らしい恵みであることか。このことからもわかろうというものです。

(「シルバーバーチ最後の啓示」104頁)