神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

ひたすら素直をめざして

 シルバーバーチを読んで霊的真理について学ぶといっても、知的好奇心が満たされるわけではありません。当たり前のことしか書いてないからです。

「地上人類はすでに地上生活にとっての必須の真理ーーー親切と助け合いと愛についての基本的真理のすべてを授かっております。世界をより良くするためには如何にすべきかはすでに分かっております。成長と発展と向上と進化にとって必要なものは過去幾世紀にもわたって啓示されてきております。」

 だのに、徐々にしか世界はよくなっていない・・・いまだに戦争なんかやっている。飢餓や難民や人権抑圧はなくならない、地球環境はますます暑くなっていく・・・。それはなぜかというと真理を知ってはいても従っていないからです。

「それ(すでに授かっている真理)に素直に従いさえすれば、今この地上において、内部に宿された神性をより多く発揮することができるのです。」「素直に従い実行しさえすれば(中略)この世から悪夢のような悲劇、あまりに永きに亘って無益な苦しみを与えてきた恐怖と悲惨と苦悩を一掃できることを説いてきております。」

 分かってはいるけれど素直になれない。そこには原因があるのです。物質中心のものの見方と利己主義ですが、そのさらに元をたどると人間は死んで終わりという根深い迷信があります。私は何回も書くのですがここが最大の元凶だと考えています。中には宗教の信仰者で深く信仰しているから天国にいけると本気で信じている人もいるかもしれませんが、それも地上と天国(霊界)と区別しすぎ、そもそもその天国というのも教祖によって作られたイメージにすぎないのです。

 肉体の死を絶対視する価値観からは、必然的に物質中心で利己的な考えが生まれてきます。もっと速く、もっと大きく、もっと多様で良いモノやコトを、他人よりももっと多く・・・これでは素朴な真理に素直に従っている場合なんかではない、ということになりかねません。

 死は終わりではないのです。霊=生命にそもそも終わりなどないのです。死は確かに一区切りではありますが絶対視するほど特別なものではなく、好きだったモノゴトから強制的に切り離されて天国とかに移住させられるわけでもありません。霊訓を読めばそのあたりのことがよくわかります。何も死によって諦める必要などないのです。事実は全く逆でそれまで制約されてきたことが思う存分できるようになります。そう思えば(病気によるものだとしても)自然に迎える死がどんなに希望に満ちたものかと思えてくるのではないでしょうか。もちろんわざとそれを早めてはいけません。地上にあってより良い死を迎えるために、より良い生き方をしなくてはならないのですから。

「そこであらゆる宗教的体系と組織、進歩を妨げる信仰、不必要な障害、人間の精神を曇らせ心を惑わせる迷信に対して敢然と宣戦布告し、神の子が神の意図された通りに生きられるように、不変の霊的真理を授けようと努力しているわけです。」(「シルバー・バーチの霊訓3」4章)