神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

誰もが愛と寛容の種を蒔かねば

 殺人事件で何十年も犯人が見つからないことがありますが、本当に気持ちの悪いことです。遺族の方の悲しさはいかばかりでしょう。また逃げおおせたと思っている犯人はどんな気持ちなんでしょう。記憶を上書きしては上書きし忘れたり他人の仕業と思い込んでいるのでしょうか。

 神の摂理、絶対法則の一つに原因と結果の法則というのがあります。罪の種、殺人の種をまけば、かならずその結果を刈り取らねばならず、相応の苦しみを受けることになります。ただしそれは本人が地上にいる間とは限りません。が、いずれにせよその報いを受けて必ず苦しむことになるのです。

 国の権力者として人々を圧迫し束縛する独裁者も同じです。一方、私たち一般市民にもこれが当てはまります。愛に乏しく不寛容の種をまけばその刈り取りをしなくてはなりません。

 古い映画でショコラというのを観ました。フランスの田舎町で古いしきたりを頑固に守り事なかれ主義で静けさだけが何より大事という人々の中に、放浪のショコラティエがやってきて人々にチョコを振る舞ううちに、人々の心が自由になっていくというストーリーですが、考えれば今の日本で同性婚をめぐる状況とも重なるような気がします。

 主人公がチョコの愛の種を蒔くことで人々が自由へと導かれたように、今の日本でも静けさではなく、愛と寛容と平和の種を蒔いていかねばならないのです。

「愛が欲しければ愛の種を蒔くことです。平和が欲しければ平和の種を蒔くことです。至るところに奉仕の種を蒔けば、地上世界は奉仕の精神にあふれることでしょう。このように大霊の真理はきわめて単純なのです。あまりに単純すぎるために、地上で指導的立場にある人々には、その重大性が分からないのです。」

(「シルバーバーチの教え」18章)