親しみやすいと思っていたのに、ふとその人に全然愛着を感じていないことに気づいて戸惑うことがあります。そうかと思えば、つっけんどんで全然親しみやすさの欠片もなさそうなのに、どこか憎めない心惹かれるところがあるように感じる人もいます。
思うに親しみやすさは一時的で愛着は持続的です。
親しき中にも礼儀あり、が大事なのはひょっとしてこういうことでしょうか。礼儀というのは相手へ敬意を払うことですが、それを言い換えるとその人の中にある愛すべき尊ぶべき美点を信じ、それを見出そうと努め続けることなのではと。愛着がとぎれないためにお互いがそうやって一時の親しみやすさで終わるのではなく、相手の内奥を見つめる努力が求められるのでありましょう。
「内部に宿る資質の中の最高のもの、最奥のもの、最大のものを発揮しようと努力する時、私ども霊界の者の中であなたに愛着を感じ、あなたを援助することによって多くの人々の力になりたいと望む霊を呼び寄せることになるのです。」(「シルバー・バーチの霊訓1」1章