神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

分け隔ての束縛

 あまりにも長い間ブログ更新できていないので、なんとしても書いておかねばと思っています。これもいわば束縛ですが。

「霊的真理には一人ひとりの人間を束縛から解放する意図が託されているのです。」

 霊的真理を通じ精神的霊的自由を手にしたはずの私にも、まだ心の何処かに束縛の火種が残っていてリラックスを妨げているのを感じます。

 せっかくの、とか貴重なという形容詞には要注意です。ここは地中海か西海岸かと思わせるようなどこまでも続く青い空と照りつける太陽、貴重な夏の連休の最終日、京都では祇園祭・・・そういう思いが心を焚き付け落ち着かなくさせます。外出をできるだけ避けるようにとのニュースにホッとしたり、明日から仕事と思うと心が重くなったりします。

 休みも仕事もすべて延々と続く生活をわざわざ分け隔てて捉えているのです。

「(真理の知識を)皆さんの日々の生活で使用していただかないと困ります。その霊的な価値は工場において、仕事場において、事務所において、商いにおいて、専門職において、天職において、奉仕的仕事において、家庭内において、その絶対的基盤としなければなりません。あなた方の生活のすべての行為における光り輝く指標とならなければなりません。」

 私たちは永遠の霊であるという視点からすれば、のんびりしていても、ばたばたしていても、小学生時分の夏休みの中にいるようなものではないでしょうか。(「シルバー・バーチの霊訓3」2,3章)