神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

知識は精神の成熟度に応じ

 モノの言い方、他人への伝え方というのがあると思うのです。伝えたいこと言わんとすることは同じでも無用なプレッシャー、脅し、恐怖感をセットにしてしまったら、無くもがなの苦痛をその人に与えてしまうことになります。それは誰のためにもなりません。

 たしかに優しい言い方では伝わらない鈍感な人もいますし、年を取って図々しくなった人にはきつい言い方でもなんの違いももたらさないでしょう。しかし剣のある言い方が無用の束縛をもたらしていることも多いのです。

 人に伝えたいことがあるときは、自分の精神の熟度に応じたふさわしい伝え方はどのようであるのか、考えた上でしたいものです。要はそこに愛はあるんか?ということです。

「私たちは無くもがなの無知に対して闘いを挑まなくてはなりません。神は、内部にその神性の一部を宿らせたはずの我が子が無知の暗闇の中で暮らし、影とモヤの中を歩み、生きる目的も方角も分からず、得心のいく答えはないと思いつつも問い続けるようには意図されておりません。真に欲する者には存分に分け与えてあげられる無限の知識の宝庫が用意されておりますが、それは本人の魂の成長と努力と進化と発展を条件として与えられます。魂がそれにふさわしくならなければなりません。精神が熟さなくてはなりません。心がその受け入れ態勢を整えなくてはなりません。そのとき初めて知識がその場を見出すのです。」(「シルバー・バーチの霊訓3」3章)