神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

救いと導きの回路を自ら閉ざしてはならない

 プランAとプランBがあって正しいのはAの方だけどどうしてもしんどいのでBの方を選択したとすると、霊の導きを拒絶したことにより罪を作ってしまったと自分を責めたりしないでしょうか。しかしそういう思い自体が実は命取りなのです。
 聖書の中で決して赦されることのない罪というのが一つだけあげられています。
”だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。”

 ここで聖霊を汚すとは聖霊による救い導きを信じないこと、にとどまらずそれをどこまでも拒否し続けることだと思います。霊界との通路を自ら遮断してしまうことだと思います。
 プランAでもプランBでも、どちらを選択してもいいのです。それを自由意志に拠って選択することはすべての人に許されていることです。たとえAの方が摂理に沿っているとしても、しんどいのですみません、堪忍してくださいと思って、決してそれで背後霊が怒って立ち去るなどと思ってはいけないのです。Bの方ならBの方で新たな展望が開けてくるのです。
 霊的導きと救いの道は自ら断たない限り決して途切れることはありません。
「肉眼で見ることができず、手で触れてみることもできない私たち霊界の者が物質の世界と接触をもつことは容易なことではありません。人間側が善良な心と自発的協調性と受容的態度と不動の信念を保持してくれているかぎり、両者を結ぶ霊的回路が開かれた状態にあり、その人はあらゆる面において、つまり霊的に精神的に物質的に、より良い方向へと自動的に進んで参ります。多くの人になかなか分かっていただけないのは、そしてまた人間が望むように事が運ばないのは、その援助を届けるための回路が開かれていないということです。本人自らが回路を開いてくれない限り他に手段がないのです。」(「シルバー・バーチの霊訓1」5章)