神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

やっかいなしがらみ

 私の(ブログの)役割は霊的エンターテナーでしょうか。霊的真理を巡る実生活のあれこれについて書きながら、読んでいただくと元気になったり前向きに(あとで考えると何となく)なったと思っていただければ本望です。

 その目的のためには、自分自身がいつも喜びにあふれ自由である必要があると感じるのですが、難しいです。

「物的なものはいずれ朽ち果て、元のチリに帰ります。野心、欲望、富の蓄積、こうしたものは何の役にも立ちません。」

 もう、モノに心を向けることでしんどさをやり過ごそうとは思いません。そんなことはできないと知ったからこそ、霊的真理に引かれてきたのですから。しかしそれで一気にいつでも自由になれるわけではありません。

「私たちの努力は常に、物質界の神の子等にいかにして魂の自由を見出し、いかにして霊的真理の陽光を浴び、いかにして教義の奴隷となってる状態から抜け出るかをお教えすることに向けられております。」

 魂の足を引っ張る教義にもいろいろあります。”死んだら終わり”もそうですが、それだけではありません。自分が無能者であるとか他人に迷惑をかけて申し訳無いとか自分が社会の基準に達せていないとジクジクと自責しすぎることは社会人教、大人教の教義の奴隷になっているからです。魂を不自由にするだけでなく腰痛もひどくなります。

 自分に非があればちゃんと謝って、そこから学んでいけばいいのであって、教義の奴隷になってしまってはいけないのだと、自分に言い聞かせています。

(「シルバー・バーチの霊訓4」4章)