神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

摂理の理解が道を照らす

 精神的な危機に陥った時、つい慌てふためいて頭を抱えようとします。かつては度々、今でも時おりそうなる私にとっては、それゆえに真理がなにより必要でありそれについて書くことが理解ともなり救いともなっています。

 今日もほかのどんな理由よりも現在の精神的危機を乗り越える手立てを探りたいと霊訓を開いています。

「私がそれ(神)を法則として説くのは、人間の意志ではどうしようもない絶対的な理法というものがあることを指摘したいからです。その枠内でお互いが協調的に生きることができ、それに背いて不和と仲違いと利己主義と貪欲と腐敗と戦争を生むことにならなくて済むはずです。その摂理を理解しさえすれば、人生の図式が分かるようになり、進むべき方向と道しるべと目的が見えるようになります。そして同時にそれに自分を合わせていく方法も分かるようになります。」

「その法則は全存在の行為の一つたりとも、言葉の一つたりとも、思念の一つたりとも、観念の一つたりとも見逃すことはありません。表に出る出ないに関わりなく、生活現象のすべてを管理しています。」

 自分は摂理を正しく理解しているか。取り越し苦労、過剰防衛していないか。他人と自分を比較し自分を必要以上に優れたものに見せたい(年齢がずっと上なのだし)と思ったり、そうできない自分を卑下し過ぎていないか。今に集中せずにこの状況がいつまでも続くという思い込みにばかり囚われていないか。周囲に弱音を吐くことを、時には休むことを躊躇しすぎていないか。霊として生きていくべきことを忘れていないか。

 このような霊的精神モードに一気に焦点を合わせられる魔法があればいいなと思うのですが、そういうものはありません。ひたすら摂理を理解し我が物とするしかありません。(「シルバー・バーチの霊訓4」7章)