神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

高望みというのはありません

 コップに半分入った水を見てポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかという話がありますが、”一個の霊”と言うとき、それをどのように捉えるかも似たところがあります(全然違うところもありますが)。

 いま地上にはおよそ80億もの人間の霊が来ています。一個の霊は80億分の一に過ぎません。砂浜に落ちているひと粒の砂ほどのものでしょう。今にも消えてしまうかもしれません。また社会の小さな歯車としてひたすらこき使われすり減って捨てられるという見方もできるかもしれません。

 しかし一個の霊を見る時、それを数や社会的影響力だけで捉えるのは間違いのもとです。むしろそれは非常に些細なことと言えます。

 大事なことはそれぞれの霊が神の一部であり神とつながっているということ、神とともに歩み続けられるということです。

「(摂理を理解すると)自分も一個の霊、全生命の親である神の一部として、永遠の営みに参加できることを悟るようになるからです。」

 ずっと同じところを引用して恐縮ですが、私たちが本当に追い求め、それを得て本当に満足できることはここなのです。永遠の創造活動に神とともに従事できるということです。

「時にはうんざりすることもありましょう。無意味に思えることもあることでしょう。しかしそれも詮ずるところ厳然たる計画と目的をもった仕事の一環です。あなたはそのための道具です。ただ一人で悟りへ向けて、孤独な道、犠牲の道を徐々に手引されております。かつて申し上げたことがあるのを覚えておいででしょうが、その道は行くほどに見慣れた景色を一つ一つ後にしていかねばならない寂しい道です。しかしそれしか道がないのです。」

「その修養は一種の霊的浄化の道程です。純金が姿を現すためには不純物を取り除かねばなりません。あなたも人間である以上、多少の不純物はかならずあります。しかし、あなた方はいま正道を歩んでおられます。そして、それは偉大なことと言うべきです。」

 神の正道を永遠に歩むこと。これほどの幸福があるでしょうか。その幸福があるかぎり、ないものねだりしたり高望みしたりなんてことはありえないと思います。(「シルバー・バーチの霊訓4」7章)