神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

生きるのではなく生かされている

 何のために生きるのか。これはみんなが悩むことで、多くの人はそれがわからず悩みながら生きています。中には自分はこのことのために生きているのだと思っている人もいますが、それは現時点でそのように信じているということであって究極的にそうなのかはわからない。しかしそんな中でもみんなそれぞれの思惑を抱えながら社会のつながりの中で生きています。

 問題は社会からドロップアウトしてしまう人がいることです。自ら進んでそうなるのか周囲がその人を遠ざけるからなのか、社会とのつながりが薄れ、そのうえ生きる意味を見つけられないという問題に直面して自暴自棄となり、依存症とか放火とか無差別殺人などの事件を犯す人も出てきます。誰でもいいから殺したい、そうして死刑になりたいと間接的自殺を望むのです。

 このような問題を防止するのに孤独をくいとめ社会とのつながりを厚くしていくことは大事です。しかし一方ですべての人が知っておくべきことがあります。それは命とは自分で作ったものではなく与えられたものだということです。ということは生きる目的も自分で決めるなどというのは無理な話で、そんなことをする必要もないということです。

 生命を与えた神の意図を信じ、何事にも意味があると思って着実に生きていくべきだということです。

「楽しく笑い冗談を言い合っている時でも、ここにこうして集い合った背後の目的をゆめゆめ忘れないようにいたしましょう。神は何を目的として我々を創造なさったのかを忘れないようにいたしましょう。その神との厳粛なつながりを汚すようなことだけは絶対にしないように心がけましょう。こうした心がけが、神の御心に適った生き方をする者にかならず与えられる祝福、神の祝福を受けとめるに足る資格を培ってくれるからです。」(「シルバー・バーチの霊訓6」10章)