神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

愛の記憶は永遠に失われない

 世の中のあるところへ目を向けてみれば、そこには文字通りの意味で偉い人、優秀な人、頑張っている人、見習うべき人が大勢いらっしゃいます。そんな人達と自分を比べるわけではないのですが、自分はいったいどのような生き方に邁進していくべきなのかと考えさせられます。

 今のところ、それは霊的真理について書くことで、生きる元気とか生きる喜びを知るための糸口を読んでくれる人に提供することではないかと考えています。もしそれが本当にできればすごいことだと思いますが。

 家族や友人が亡くなって無常感を禁じ得ないという人に対し、シルバーバーチはこう答えています。

「霊に秘められた才覚のすべてが開発されれば、そういう無常感は覚えなくなります。」

 これは多くの人にとって救いになるのではないでしょうか。私自身とても安心を与えられるような気がします。

 長い付き合いがあった人に限らず、心に残る人やモノや場所や体験はすべてその人の一部になっていて、それらと別れ二度と出会うことはないという無常感はどれほど悲しみ苦しみとなることでしょう。霊的進化が進めばそんな無常感は覚えなくなるというのです。

 それはどうしてそうなるのでしょうか。

「私も摂理の隅々まで見届けることはできません。まだまだすべてを理解できる段階まで進化していないからです。理解できるのはほんの僅かです。しかし、私に明かされたその僅かな一部だけでも、神の摂理が完全なる愛によって計画され運営されていることを得心するには十分です。私は自分にこう言い聞かせているのですーーー今の自分に理解できない部分もきっと同じ完全なる愛によって管理されているに違いない。もしそうでなかったら宇宙の存在は無意味となり不合理な存在となってしまう。もしこれまで自分が見てきたものが完全なる愛の証しであるならば、もしこれまでに自分が理解してきたものが愛の証しであるならば、まだ見ていないもの、あるいはまだ理解できずにいるものも又、完全なる愛の証しであるに違いない、と。」

(「シルバー・バーチの霊訓6」10章)

 失われ消滅し二度と味わえないと思いこんでいた愛は、実は決して失われることなく宇宙に存在し続けるということではないでしょうか。これはなんとおおいなる希望であることでしょう。

 もっともその希望の真理だけではなくすべての人に”忘却の恵み”も用意されてはいるのですが。