神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

責任の範囲

 人間は身体的にも精神的にも霊的にも自由であるべきです(パレスチナの人々!)。

 しかし自由には責任が伴うと言われます。その人の居場所により、また社会的所属や年齢により、様々な責任が覆いかぶさってきます。その人の表面的な見た目の立場によって自分の思いとは裏腹にまわりから様々な責任を押し付けられ、自分でもそれが当然のことと思い込んだり、あるいは少なくともそうしようとします。親として、社会人として、組織人として、市民として、国民としての。 

 しかし、その責任は本当に自分の負うべきものなのか。押し付けられるままに背負い込んでいるだけではないのか。

 人は成長すればするほど自由になれると同時にその責任の範囲も大きくなります。しかし本当に背負うべき範囲を超えて責任を背負うとすると、それは自由を束縛することになります。

 本来はどんなときも個人の責任に忠実であればいいのだと思います。それができれば人はいつでも自由でいられるし、同時に無責任になることもありません。

「(真理の普及おいて)あなた方が寄与できるのは、それがより多くの人々に行き渡るように、その伝達手段となることです。(中略)あなた方に出来るのは一個の人間としての責任に忠実であるということ、それしかないのです。」

「みなさんはご自分で最善と思われることに精を出し、これでよいと思われる方法で真理を普及なさることです。」(「シルバー・バーチの霊訓7」10章)