宗教は足枷ではありません。足枷が解かれて自由になった人々を手引するものです。自由になっただけで叡智が手に入るものではないからです。
「足枷をはずすまではいいのです。が外したあとに自ら歩むべき道がなくてはなりません。何の道標もなくて戸惑うまま放置されるようなことになってはいけません。私たちは彼らの魂の解放を望みますが、その自由が手引してくれる方向もよく見極めてほしいのです。」「私たちは全人類の意識を高め、地上における一生命としての位置、宇宙における位置、創造神とのつながり、一つの家族としての地上人類どうしの同胞関係を正しく理解する上で必要な霊的真理を明かそうとしているのです。」
自由な魂が叡智に目覚め、真に宗教的なそれぞれの生き方に向かっていくのです。
「物的世界は神の想像された宇宙の一側面であり、それを無視して、つまり絶望の淵に沈む人類の苦しみに無関心でいて”宗教的”ではありえません。そういう人たちのために援助の手を差し伸べる人はすべて偉大なる霊と言えます。真理を普及することのみが人のための仕事ではありません。他にもいろいろあります。
貧困にあえいでいる人々への物的援助もそうです。病に苦しむ人々の苦痛を取り除いてあげることもそうです。不正と横暴を相手に戦うこともそうです。憎しみ合いの禍根を断ち、人間的煩悩を排除して内奥の霊性に神の意図されたとおりに発現するチャンスを与えてあげる仕事もそうです。」
どのような生き方であれここにあるような真に同胞のためになる仕事こそ聖職であり、天職であり、神の呼びかけ(コーリング)でしょう。
(「シルバー・バーチの霊訓4」4章)