神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

意識して眠る

 大谷選手も藤井九段も睡眠を大事にします。今やそんな意識の高い人ばかりでなく、一般の人も睡眠を重視するようになってきました。サプリを摂ったりジムに通ったり、そんな足し算を工夫しなくても、食べ過ぎず、お酒や甘いものを避け(できればペットボトルに入ったものも避け)、お風呂に入ってしっかり眠る。いわば引き算の健康法で、ちゃんと健康になれるように出来ている。

 睡眠の質の向上が日々のパフォーマンスを上げてくれる。なんだか宣伝文句のようですが、パフォーマンスとはなんでしょう。ただ仕事や勉強が捗るという以上のことです。

「肉体は霊が自我を表現するための道具です。存分に発揮したいと思われれば、十分な手入れをしなくてはなりません。疲労が重なると本来の機能が発揮できなくなります。そこで神は、その無限の叡智によって、肉体を休息させ、活力を取り戻させるための”睡眠”を用意したのです。

 地上の四季の移り変わりをよくご覧なさい。秋になると大自然は冬の眠りのための準備をし、春になると再び目覚め、夏にその壮観を披露します。人体も同じです。休息によって元気を回復しなければなりません。休息はぜひとも必要です。」(「シルバー・バーチの霊訓8」3章)

 睡眠は人が霊的自我を表現するために神が与え給うた仕組みです。一つの神の遺産とすることができます。睡眠や休息は神の恵みとして何よりも大切にしなくてはなりません。

 そしてその目的も意識したいと思います。

 あなたが、あなたらしさを最大限発揮するための、土台作りを担うもの。それが睡眠なのです。

 

優柔不断も悪くない

 人生は決断の連続だと言っていつも果敢に決断を下し、たとえその結果が芳しいものでなくてもしっかり向き合って逃げない。そういう態度はとても立派だと思いますが、地上で生きる限り私たちの視野は狭められていて自力では往々にして決断を誤ります。もちろんそんな失敗も、また苦労も、霊的成長につながるのですからすべて良いことであるのには違いがないのですが。

 ここで私は何が言いたいのかというと、決断することも大事ですが、あまり思い詰めることはないですよということです。というのは取越苦労や心配、恐怖心などと同様、思い詰めると背後霊を遠ざけてしまうと思うからです。

 いつも心身をリラックスさせる、これが大事です。そうしていれば心配しなくてもいつも背後霊が必要に応じ導きや気付きを与えてくれて、決して大きな不要な失敗はしなくなりますし、正しい人生のルートから大きく外れることもなくなるのですから。

「最終的にどう決めるかはあなたご自身です。私も出来る限りの援助はいたします。が、時として私たちにも如何ともしがたい状況というものが生じます。あなたの自由意志を無視するわけにはまいりません。」

「私には皆さんに対する愛があります。もし無かったら今こうしてここにいることもないでしょう。私たちにとって地上という世界は何一つ魅力はありません。なのにこうして戻ってきて皆さんの中に混じって皆さんとともに仕事をするのは、皆さんに対する愛があるからです。」

「私は、私が間違いない真理だと信じたものを欺くようなことは申せません。目的とすべき理想、霊的真実に基づいた処世訓、それを忠実に人生に応用すれば、霊としての当然の遺産であるべき豊かさをもたらしてくれるもの、それをお教えするだけです。」

(「シルバー・バーチの霊訓8」3章)

大人はみんな大きくなった子供

 いつもここを訪れてくださってありがとうございます。わたし自身そんな気持ちはなかったのですが、ここを訪れた皆さんにとって、今はまさに自我を見出す絶好の機会なのだそうです。そこで自我とはなんだろうと自分なりにちょっと考えてみました。

 自我とは別の言い方をすると、自分らしさ、ではないでしょうか。そして自分らしさの大きな要素が、何が大好きか、三度の飯より好きなものは何なのか、ということではないでしょうか。おそらく大多数の人にとって、その好みは子供のころのそれとつながっているものに違いないと思います。毎日毎日霊のことを書いている私について言えば、やっぱり霊的なことが好きということになると思いますし、小学生の頃にも近くの神社に心霊写真を撮りに行ったことを今でも覚えています。

 いつまでも子供の頃のおもちゃで満足してはいけないというようなことをシルバーバーチは語っていましたが、そんなことを言われなくてもみんな大人になれば満足できる水準は高くなります。しかしだからといっておもちゃだとか趣味だとか遊びだとか、大人なのだからという理由でそんな大好きだったものを否定したり隠したりしなければならないわけではありません。

 むしろ子供時代のことを思い出して、好きだったことを掘り起こしてみてはどうでしょうか。子供の頃はお金なんてなくても楽しく毎日過ごしていたのではありませんか(今時の子どもたちのことはわかりませんが)。老い先短いのにそんなこと、なんて思わないでください。グランマ・モーゼスのような人もいます。しかも私たちには霊的真理が明らかにされていて、寿命なんか気にせず永遠の人生が目の前に開けているのですから。

「縁あってあなたのもとを訪れたということは、その人にとって自我を見出す絶好機がめぐってきたということです。成功すれば、あなたは他人のために自分を役立てる機会が与えられたことに感謝なさることです。もし失敗したら、その人のことを気の毒に思ってあげることです。」(「シルバー・バーチの霊訓8」2章)

「人の為」の真意

 z世代の人たちはよく”人のためになることをしたい”と、他の上の世代より語ることが多い印象ですが、人のためになることならなんでもいいのでしょうか。決してケチを付けるつもりはないですし、シルバーバーチも人のために役立つことならなんでもかまわない、という発言をしていますが、それでは少し漠然としています。今日の引用箇所はこの問題に少し関連します。

「宇宙の大霊、あなた方のいう神は無限なる存在です。となると、完全なる愛と叡智の権化であるその大霊に通じる道もまた無限に存在することになります。大霊とは生命であり、生命とは大霊です。生命ある存在は誕生によっていただく遺産として神性を宿しております。そして地球という惑星上の全生命は究極において唯一の霊的ゴールに通じる道をたどりつつ永遠の巡礼の旅を続けております。何の道をたどるかは問題ではありません。巡礼者の一人ひとりが真摯に自我の向上を求め、責任を遂行し、与えられた才能を開発して、その人が存在したことによって他の人が霊的な豊かさを得ることができるようにという、誠実な動機をもって生きればそれでよいのです。」(「シルバー・バーチの霊訓8」2章)

 人は一人ひとり、神より来て、神へ帰っていきます。その道程は永遠の霊的向上、永遠の巡礼の旅であり無限の数のルートがあるのです。誰がどんなふうにしてどこまでたどり着いたかなんて比較する意味はありません。そんなことより大切なのは、ひたすら自我の向上を目指し、人のため、つまり自分を役立てることによって他の人が霊的な豊かさを得ることが出来るようにという誠実な動機、これさえ堅持してさえいれば、それでいいのです。

霊の恵みは内省を通じ

「物的な面では、すべての人にいきわたるだけのものがすでに地上にはあります。そして霊的にも十分すぎるほどのものがこちらに用意されています。」

 神の恵みは物質的にも霊的にもすでに十分私たちの手の届くところに用意されているのです。”もっと恵みを”と神に祈る必要はありません。私たち自身がその恵みをどうやって手に入れるのか、その手段と通路を人間側で工夫すればいいだけです。

「それをいかにして受け入れる用意のある人にいきわたらせるか、その手段を求めて私たちは一層の努力をしなければなりません。」

 この世には、まだ食べられる食料を毎日大量に廃棄しながら平然としている国があるかと思えば、緊急の支援物資100トンをなんとかして目的地に運んだワールド・セントラル・キッチンのスタッフが攻撃を受けて殺されるガザのような場所もあります。

 すでに十分な物資を公正に無駄なく滞りなく届ける努力と工夫がもっともっと必要なように、霊的な恵みも、それを受け取るためには人間がそれなりの手段通路を努力して用意しなくてはなりません。それは外に求めるのではなく、自我の内省を通じて得るものなのです。

「問題はその受け入れ態勢を整えさせる過程です。何かの体験が触媒となって自我を内省するようになるまで待たねばならないのです。外をいくら見回しても救いは得られないからです。」

 地上生活の様々な体験を通じ内省し、自我を開発することで、霊的恵みを味わえるようになっていきます。

(「シルバー・バーチの霊訓8」1章)

ずっと気楽で行きましょう

「私は何一つややこしいことは申し上げておりません。難解な教理を説いているわけではありません。自然の摂理がこうなっていて、こういう具合に働くのですと申し上げているだけです。」

「ですから、悲劇的になる材料は何一つありません。明日を恐れ、不安におののき、霊的真理なんか構ってはいられないという人は、好きにさせておくほかはありません。幸いにも霊的光明を垣間見ることができ、背後に控えている存在に気づかれた方は、明日はどうなるかを案ずることなく、常に楽観的姿勢を維持できなければいけません。」(「シルバー・バーチの霊訓8」1章)

 霊的真理を知って何が良かったかといって、私の場合、なんといっても気楽でいられることですよ。

 どんなにまわりが騒々しくても、また自分がどんな失敗をやらかしたとしても、ちゃんと落ち着くところに落ち着くように摂理ができています。であれば自分が心を騒がせヤキモキしても仕方がありません。摂理に全てをお任せし、あとは自分なりに最善を尽くしていればいいのです。

 そういう気楽な気持ちにさせてくれる霊的真理は私にとってピッタリの教えなのです。

すべての人が語り手となる

 霊媒という言葉があまり好きではなくて、要は真理の語り手と捉えたほうがしっくりくるのです。霊的真理が常識となった世界、つまり未来のあるべき世界となった暁には、わざわざ霊媒などといって特別視することはなくなるでしょう。すべてのひとが高次元の世界から導きと力と励ましを得て、それを同胞とシェアする社会になるのですから。

 今日からトニー・オーツセン編集の第9巻に入っていくのですが、冒頭でシルバーバーチ自身がこう語っています。

「私は実はインディアンではありません。あるインディアンの幽体を使用しているだけです。それは、インディアンが地上時代に多彩な心霊能力をもっていたからで、私がこのたびの使命にたずさわるように要請された際に、その道具として参加してもらったわけです。私自身の地上生活はこのインディアンよりはるかに古い時代にさかのぼります。

 このインディアンも、バーバネルが私の(地上における)霊媒であるのとまったく同じ意味において私の霊媒なのです。私のように何千年も前に地上を去り、ある一定の霊格を具えるに至った者は、波長のまったく異なる地上圏へ下りてそのレベルで交信することは不可能となります。そのため私は地上において変圧器のような役をしてくれる者、つまりその人を通して波長を上げたり下げたりして交信を可能にしてくれる人を必要としたのです。

 同時に私は、この私を背後から鼓舞し、伝えるべき知識がうまく伝えられるように配慮してくれている上層界の霊団との連絡を維持しなくてはなりません。ですから、私が民族の名、地名、あるいは時代のことをよく知っているからといって、それは何ら私のアイデンティティを確立することにはなりません。それぐらいの情報はごく簡単に入手できるのです。」

 上層界の霊団→シルバーバーチ→インディアン→モーリス・バーバネル→オーツセン→霊訓の読者。こういう経路で真理が伝わります。シルバーバーチ自身も霊媒ということができます。ということは霊訓の読者も、それで得た霊的真理を誰かにシェアするならば霊媒、つまり真理の語り手とすることができます。

「かくして私たちは、この世には誰一人、また何一つ希望を与えてくれるものはないと思い込んでいた人々に希望の光を見せてあげることが出来るのです。あなたも私も、そして他の大勢の人々が参加できる光栄な仕事です。」

 みなさんもぜひシルバーバーチの霊訓を通じ、この仕事にたずさわってみてはいかがですか。しかし注意しなければならないことがあります。

「それはおのずと、その責任の重さゆえに謙虚であることを要求します。その責任とは、自分の説く霊的真理の気高さと荘厳さと威厳をいささかたりとも損なうようなことは行わないように、口にしないように、伝達しないように慎むということです。」

 それが霊的であるかによらず、真理と信じることを語り伝えようとするとき、謙虚でなければならないのは、その真理が汚されるようなことがあってはならないからです。

 新しい年度の初めにあたって改めて心掛けたいと思います。