真理普及のための「真剣な祈りが無駄に終わることは絶対にありません。必ずや何らかの応答があります。」だそうです。
自分は本当に真剣に祈っているか?少なくとも真理についてあれこれ考えたり書かないでいると居心地の悪さは感じますが。またたとえ祈れていたとしても即時に(自分の望むタイミングで)応答がもらえるということまでは、霊訓に書いていないようですが。
今朝はどんな応答がありえるだろうか・・・。そんなことを思います。
毎朝モノレールで通勤していて、駅で待っているときれいな朝日を真正面に拝むことが出来ます。朝日はなぜこんなに輝かしいのだろう、雲はなぜこんなに雄大なんだろう、街や建物や人間はなぜこんな形をしているのだろう・・・毎度ながらとりとめもないことを考えます。
こうやって思ったり感じたり考えたりすることは時代や環境がどれほど移り変わっても、たとえ緑も水もない砂だけのアフガニスタンのような場所から、日本のような豊かな国に移り変わっても相変わらず人間はそうしているだろう。つまり他のことは色々変化する中、人間の意識というのは一番変化しにくいもので、結局これが人間の本質のようなものではないか。その人間の本質の部分を改良していくにはどうするか。
「霊性を開発するほど、美と光輝と崇高さが自分のものとなります」「霊力を発揮させるのです」
物質文明の発達ではなく霊性の開発こそが人間の進化ということになるのではないでしょうか。
(「シルバーバーチ最後の啓示」108頁)