神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

実は完全に公正である

 先日の大雪でJRの乗客が10時間も閉じ込められるということがありましたが、トイレはどうしたのでしょうか。トイレの近い私にはそれが心配で仕方ないのですが、それはともかく、その間乗客が自発的に座席を譲り合って忍いだということを聞き、缶詰め自体は災難には違いありませんが、こういうことを通じても人は何かしら学んだり訓練したりするものなのだなと、また人生はいつでもそこが学校なのだなと思いました。

 思えば人生はずっと学校生活なのです。小中高大と通ったら実社会という学校、それも卒業したら地域とか施設とか病院とか、これらも学校と捉えることが出来るのではないでしょうか。そこで学び続けるために必要なことは、いつでも状況を前向きに捉えることかなと思います。

 児童手当の所得制限を撤廃するか否か議論になっていたりするようです。世の中にこれだけ不公正があるのは人のせい、人の未熟さのせいであり、確かに大いに問題ですが、ただ物質的不公正をことさらに取り上げて解決しようとするだけではなく、もっと大きく長い目で見てみれば、つまり霊的視野で見てみれば、全ての人が完全に公正に取り扱われているということを、常に感謝とともに意識していたいと思います。なぜならこちらの公正さのほうが遥かに重要なことだからです。

 つらい状況、物的に不公正極まりないと思われる中にあっても不満に押しつぶされ自棄になるのではなく、(霊的成長へとつながる)学びの機会を(幸運なことに)与えられているのだと受け止めることができるのです。

「何事も見かけの結果だけで判断してはいけません。あなた方は物的な目で眺めることしか出来ないのです。霊的な目で見ることができれば、人間は一人の例外もなく完全に公正な扱いを受けていることが分かるはずです。」

「私は、死の関門をくぐり抜けて霊界入りした人々と語り合ってみることがあるのですが、大霊から不当な扱いを受けたと文句を言った人は一人もいません。」

(「シルバーバーチの教え」3章・・・明日からは月も替わりましたから下巻を読むことにします)