神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

不安を根絶する教え

 大前研一さんの”第4の波”を読んでいたら、低迷する日本を立て直すには第3の波(情報化)の前半で止まっている社会を第4の波(スマホ人工知能)に対応できるようにアップデートすることと並んで、老後2000万円問題に象徴されるような将来への不安を払拭することが重要と書かれていました。

 引退したらどこにも頼れず貧しさの中で野垂れ死ぬのではないか不安になって生活をエンジョイできず、せっせと貯金に励んでいるのです。

 と思ったら老年医学が専門の和田秀樹さんが死は痛くも怖くもないと言っていました。しかしたとえそうでも、それだけでは到底将来の不安を取り除くことは出来ないでしょう。死ぬまでに味わうであろうさまざまな厄介事が心に重くのしかかってくるのです。しかも物的目線からすればこれらの厄介事はまさに厄介事でしかなく、ただ苦しく最後に死という無が待っているだけのなんの有り難みもありえないものです。

 この状態を打開するには何が必要か。死で終わりとすると前向きに明るくしているのは難しいと思います。しかしここで霊的視点、永遠の生命の視点を取ることができれば、これを克服することが出来ます。

「人間にとっての真の安全は霊の力であり、神が宇宙に顕現していく手段であるところの荘厳なるエネルギーです。他のすべての存在が形を変え、あるものは灰に帰し、またあるものは塵と砕けても、霊的存在のみは不変・不易であり、不動の基盤として存在し続けます。全てを物的感覚によって推し量る世界に生きているあなた方にとって、その霊的実在の本質を理解することが極めて困難であることは私もよく承知しております。捉えようとしてもなかなか捉えられないものです。ですが、私のこうした説教によって、たとえ不十分ながらも、霊こそが永遠の実在でありそれ以外は重要でないことをお伝えすることができ、流砂のような移り変わりの激しい物的存在ではなく、不変の霊的真理を心の支えとして生きようとする志を抱いてくださることになれば、及ばずながら私なりの使命を達成しつつあることになりましょう。」(「シルバー・バーチの霊訓1」5章

 霊的視点に立てば苦しみは無益ではなく、死は怖くないだけでなく死なないということ、(生命の)死そのものが存在しないということに気づくのです。