神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

神の愛を表現する手段

 温暖化が進んで花の時期がどんどん早まって、まだ4月中旬だというのにもうフジの花が満開になりました。これからクマンバチがブンブン羽音を響かせながらやってくるかと思うと嬉しくて楽しみで仕方ありません。街の様子を眺めてもハナミズキの花は眩しく、新緑は瑞々しく、ツツジの花は色とりどりで、こうやって植物たちは神の愛をそれぞれに表現しているのだということを深く思い知るのです。

 では、人間はどうやって神の愛を表現するのでしょう。花々のように美しさを誇って周りから称賛されることでしょうか。そうではありません。「世間の拍手喝采を求めてはなりません」。人生は長い。ただ長いだけでなく永遠に続きます。永遠の生命の視点からすれば地上の一時の拍手喝采にどれほど価値があるでしょう。

 自分の表面的な何かを誇るのではなく、植物たちが内なる生命を表現して世界に明るさと力と希望をもたらしてくれるように、私たちも神の愛を表現しなくてはならないし、そうできるのです。

「これからも機会を逃さず人のため、人のため、という心がけを忘れないでください。世間の拍手喝采を求めてはなりません。この世に生まれてきたそもそもの目的を果たしているのだという自覚をもち、地上に別れを告げる時が来た時に何一つ思い残すことの無いよう、精一杯努力してください。(中略)人間として霊として、こうして生を享けた本来の目的を互いに果たせることの幸せを感謝いたしましょう。人のために尽くすことにまさる宗教はありません。病める人を治し、悲しむ人を慰め、悩める人を導き、人生に疲れ道を見失える人を手引してあげること、これは何にもまさる大切な仕事です。

 ですから、こうして神の愛を表現する手段、才能、霊力を授かり、それを同胞のために役立てる仕事に携われることの幸せを喜ばなくてはいけません。(中略)自分の本性にとって必須のものに目を向けることです。それは人生について正しい視野と焦点をもつことになり、自分が元来不死の魂であり、それが一時の存在である土塊に宿って自我を表現しているにすぎないこと、心がけ一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟ることになるでしょう。」

(「シルバー・バーチの霊訓1」6章)