神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

神の国での自分の役割

 社会の歯車というと良いイメージは無いと思います。しかし実際、人間社会における一人ひとりは、欲望をエネルギーに感情や社会通念、規則(記憶)などに押されて回っています。それは霊の働きとは連動しないため、時に人は霊的虚無感に囚われて、人はなぜ生きるのかと悩みます。

 人間社会における歯車は人のいるべき場所ではない(正確に言うと、社会の歯車に身をやつしつつも、その中で神の国における役割を全うすることに努める)のです。人間社会における自分の役割に囚われるのではなく、もっと大きな視点から神の国における自分の役割を考えてみるべきなのです。なぜならそこが本来人間のいるべき場所だからです。

 神の国における一人ひとりは、霊力をエネルギーに霊波に導かれて回ります。それはやはり歯車のように思われるかもしれませんが、神の力が注がれ神の一部となっていますから虚しさに襲われることはありません。

 地上人生限りではなく、永遠の神の国における自分の役割は何なのか考えてみたいと思います。

「私どもにとっては”人のために尽くすこと”が宗教の全てなのです。人のために生きる者こそ最も神に近い存在なのです。そこに魂の存在価値があるのであり、人のためという願望を抱く者は自動的にこちらの世界で同じ願望を抱いている霊を引き寄せます。(中略)地上を少しでも良くし少しでも美しくするために自分を役立てるための媒体として同じ願望を抱く人間を求めるのです。

 これが人のために役立てるということの仕組みです。つまり自分を無にして霊の力に委ねるのです。霊の力を取り留めのないもののように想像してはいけません。実体があり直接的にあなたの心に触れる事が出来るのです。それがあなたを通じてさらに他人へ働きかけ、より大きな悟りを開く助けとなります。」

(「シルバー・バーチの霊訓2」1章)