神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

人間は単独では完成しない

 いくら修行を積んでも、いくら修羅場を乗り越えても、それで成長し大人物となることはできても、それだけでは人格の完成にはまだ足りません。人間は神との交わり結びつきがなければ完成しないのです。

 私はなぜ宗教が必要なのか長く疑問に思っていました。霊的真理は外の人、つまり真理に心から納得していない人からすれば、それはいわゆる宗教と何の違いもないように見えるでしょう。しかし真理は信仰する以前にすでにあまりにあきらかな真実のように思えます。そういう意味では既成宗教であっても心から真理と感じている人にとってみれば宗教である以前に真理なのかも知れませんが。

 霊訓の中ではしかし、霊的真理と宗教とは使い分けがされています。真理に基づき我々が持っておくべき心構えについての教えということです。そしてその内容は非常にシンプルです。たった一言で済むことなのです。

「真の宗教には儀式も祭礼も、美しい歌唱も詠唱も、きらびやかな装飾も豪華な衣装も式服も不要です。宗教とは自分を役立てることです。同胞のために自分を役立てることによって神に奉仕することです。」

 神は人間を愛の対象とするために創造されましたから、人間は神と結びつきながら交わりながら成長していくようにできています。それはどうすれば実現するかというと同胞のために奉仕することによってです。自分一人で黙々と自分自身を高めるのではなく、他者への奉仕を通じ神に奉仕し愛を深め完成へと向かって成長していくのです。そのことを霊訓の中では宗教と名付けています。

「神の力は人間各自がその霊性を発揮する行為の中に、すなわち自我を滅却した奉仕の行為、困窮せる無力な同胞のために一身を捧げんとする献身的生活の中に顕現されるのです。そこに宇宙の大霊の働きがあるのです。」(「シルバー・バーチの霊訓5」6章)