神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

実を見て木を知る

”神”とか”霊”とか”スピチュアル”と聞いただけで苦笑いして心を閉ざす人がいます。現実に適応できない変わり者、と軽蔑して関わらないでおこうとする人もいます。もし人にそのような態度を取られたら、ついこちらまで自分はやっぱり変人なんだ、社会に適応できない未熟な人間なんだ、と自己卑下してしまいそうになります。

 しかし何が事実で何が思い込みなのか整理しておきましょう。人の考えはどうすることもできません。人が否定的な態度をとったとしても、それを無理やりどうこうすることはできないのでそっとしておきます。問題は霊的真理に関心のある人自身、どこかそれを眉唾と思っている部分があることであり、それがその人の心に動揺をもたらします。その人の中で霊的真理が混乱して捉えられているのです。霊的なことをオカルトやホラーやエンターテインメントの一種としてもてはやすメディア等の影響もあると思われます。まず霊的真理を通じてこれだけはゆずれない確実に自分の血肉となっている部分に注目し、それ以外の派生的なことがらには中立の立場、厳密には理性的な立場でいることが求められます。霊的真理の信奉者だからといって信じきれていないことまで語る必要はありません。光の子だからといって突っ走る必要はありません。神は決して急ぎません。

「私たちの存在自体を疑う人がいることでしょう。存在は認めても影響力を疑う人がいることでしょう。(中略)しかし私たちがあなた方を援助することができるという事実に疑う余地はないでしょう。

 私たちには霊力というパワーがあります。これは宇宙の全生命を生み、それに形体を与えている力です。正しい環境と条件さえ整えてくれれば、私たちはそのパワーを活用してあなた方を導き、保護し、援助することができます。それも決してあなた方だけという限られた目標のためでなく、あなた方を通じて顕現した霊力がさらに他の人へも波及して、その人たちも霊的なパワーを感得できるようになるのです。」(「シルバー・バーチの霊訓5」5章)

 私たちは明らかに霊力によって形成され助けられています。その霊力を最高最強の活力源としてしっかりと土台に据えてひたすら顕現に勤しむ。そうすることが自ずと人生を最大限活かし味わうことにつながります。