神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

神からの才能(ギフト)

 人それぞれに個性があって、それを用いて人のために役立てなさいということですから、なにも特定の人だけではなく、すべての人に神からの才能(ギフト)が与えられているのです。なんとしても自分の才能は何なのか知りたいですよね。それをどうやったら見つけることができ、さらには高めていくことができるでしょうか。

「霊の道具である霊能者が自分の才能が神聖なものであるとの自覚を得たときから、重大な責任を背負うことになります。まず日常生活において、その才能を傷つけたり汚したりすることのないように心掛けないといけません。」

 まずはあなたのその才能(かな、と思うもの)は神聖なものですよ、ということです。たまたまそのような遺伝子を持って生まれてきたからというのではなく、神によりそれを有効に活用し役立てなさいと与えられているのであって、それを傷つけたり汚したりぞんざいに扱うようなことがあってはならないのです。

「次に、その才能を最高の水準にまで高める努力を真剣に行わないといけません。そのためには手にした知識を日常生活の中で実践しないといけません。また瞑想と精神統一を実修しないといけません。同じ道を歩んでいる人たちに教えを請う必要もあるでしょう。」

 才能は一つでしょうか。今はまだ自分にはこれしかないと思っていても、それを高める努力の中で無限の宝庫が開かれて新たなステップ、新たなカテゴリーの才能へとつながるかもしれません。そのようになっていくためにも真理の実践、瞑想、精神統一、他者に学ぶことが必要です。

 前半の引用にある心掛けと、後半の努力が両輪となって、才能の開発、向上になるのだと思います。

 ここで私事で恐縮なのですが、自分の才能は何かと考えたところ、あくまで今の時点ということではインスピレーションを文章にすることかなと思います。こう書くと傲岸不遜のようですが。ふだんから電車やバスなどの中で、傍に座ったり立ったりしている人でさえも(なぜか若い人ばかりですが)眠りこけたようにもたれかかってきたりフラフラ倒れかけたりするようなことがよくあって、これは自分から特殊な脳波(瞑想時のシータ波)が出ているからではないかと勝手に思い込んでいるのです(密かに、と書こうと思いましたが大っぴらに書いてしまいました)。まあオカルトの類と思っていただいていいのですが。しかしこのことからも自分はインスピレーションをできるだけ受け取ろう、この能力をもっと高めていこうとは思っているのです。

(「シルバーバーチ最後の啓示」169頁)