神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

気長のすすめ

「物質界に生まれ出るに際しては、大体において今回はこうしたいという確たる目的を心に決めております。が、いざ物的身体に宿ってしまうと、種々雑多なエネルギーの相互作用に巻き込まれます。中にはその初心の霊的目的に気づかないまま、愚かな道にはまり込んでしまう人もいます。」

 せっかく確たる目的をもって生まれてきたのに、いざやってきてみると霊的視界がふさがれて初心を見失い、水が低きに流れるように楽な方、楽な方に進もうとします。これは実にやばいのです。

「いよいよ重大な岐路にさしかっかた時、約束したはずの道を嫌がって気楽な人生を選んでしまえば、それはそれでやむをえないことです。そういう選択をした者が、死後に後悔して、もう一度やり直すということも現実にあることです。」

 わが身を振り返れば、やはり先行きが心配です。ずいぶん気楽な選択ばかりしてきたような気がしますから・・・。このままだと死んでから後悔するかもと思いつつ、しかし現時点ではそういう後悔は特にありません(気づけていないだけでしょう)。失敗はいっぱいしたし、自分に腹を立てることもしばしばですが、自分でどう仕様もないことは、その都度水に流してきました。

 まるで聖人君子のような方が若くして病気で亡くなるようなことがあると、この人は実は心の奥に密かに水に流せないイライラや怒りを抱えていて、それが悪さをしたのではないかと勘ぐってしまいます。私の悪い癖ですが。

 つらい体験が精神や身体を蝕むのには化学変化が必要で、その触媒となるのが何もかも地上人生で型をつけなければという思い込みだろうと思います。霊的視野のもと人生を捉えられれば、人生山あり谷あり、そんなもの。と思えるだろうと思うのです。そうして人生の選択に失敗したとしても次があるさと思って水に流してしまう。

 もし私の死後、うじうじと気楽で愚かな選択をしてしまったと思い出されても、そうやって乗り切っていくのかもしれません。これは”気楽”ではなく”気長”ということになると思っているのです。背後霊は苦々しく思ってらっしゃるかもしれませんが。

(「シルバーバーチ最後の啓示」176,177頁)