神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

最後まで残る生命活動

 こんな地球沸騰の時代には日本人も東南アジアとか熱帯や砂漠の人々に学んだほうがいいですね。日中は活動を控えてじっとしていることです。部活動をまじめに続けていたであろう中学生が熱中症で亡くなってしまいました。親御さんに取ってみれば信じられない気持ちでしょう。人通りもない田舎の道端で一人倒れていた様子を想像するといたたまれない気持ちになります。ちょっとだらしないぐらいになってズル休みしてでも生き続けてほしかったと思います(暑い国々の人がだらしないと思っているのではありません)。

 このように環境によって活動を制限されてくると人間にとって最後に残る生命活動とは何かと考えたくなります。ほかのどうでもいいようなことは消去していき、最後に残る、必要不可欠の行動は何なのか。

 生命維持のための睡眠、休息、食事などをのぞくと自分の命を削ることになってまでも取り組みたい活動というのが見つかるかもしれません。それは親に言われたからとか、それをするのが流行でクールだからとか、周りの友達から置いていかれたくないからとかのもっと奥に、自分の魂の欲する活動として残る何かだと思います。

 それがその人にとっての真の宗教心であり宗教活動です。その人なりに神に近づくための活動であり、人間にとって最後まで残る必要不可欠な活動だと思います。

「宗教的であることは宇宙の大霊の一部である自分を少しでもその大霊の御心に近づけることです。内部の神性を発揮する上でプラスになることをすることが宗教です。その神性は人のために役立つ行為、愛他心、親切心、日々新になろうとする心がけーーーどこにいても倒れている人を起こしてあげ、弱った人を元気づけ、無力な人の力になってあげ、病の人を癒やし、真理と叡智を広め、不正を無くする行為となって表れます。それが宗教です。人間にはその人なりの宗教を実践する上で必要なものはすべて授かっております。」

(「シルバー・バーチの霊訓3」5章)