神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

各人の克服すべき恐怖

「価値あるものほど手に入れるのに困難が伴うものです。成就は奮闘努力の末に得られるものです。勇気をもって挑戦しそして征服した者こそ称賛に値します。恐怖心から尻込みし困難を避けようとする者に用はありません。人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中をくぐってこそ魂は真の自我に目覚めるのです」(「シルバー・バーチの霊訓4」8章)

 人生が学校だとすると、人それぞれどの段階の学校に在籍しているかによって課題の難しさには雲泥の差がありそうです。

 我が子を病気や事故で亡くす体験。これがどれほど悲しく恐ろしいことか想像を絶していて、最初から見たり聞いたり考えることを拒否してしまいます。しかし実際にそういう体験をされる方がおられるのです。

 これからの日本はますます老人ばかりになって若い人はどんどん海外に働きに出ていかなくてはならなくなるでしょう。だから子どもたちは外国語を当たり前のように使いこなし外国人と何の違和感もなく友達になっていくことでしょう。そうでないと困ってしまいます。しかし我が身を振り返れば何年学んでいても英語を話せず、外国へ行くのはおろか電車の中で外国人を見るだけでも正直怖くなってしまいます。しかし自分は(まだわかりませんが)ぎりぎり逃げ切れる世代で、なんとか日本語一本で生き通せるかもしれません。

 子どもとの死別や外国人との交流などは(ひょっとしたら)自分が克服すべき困難、つまり人生学校におけるカリキュラムではないのかもしれません。しかしもしそれを履修すべきなら避けないようにしなければとは思います(あまり自信はありませんが)。

 今のところそうした、もしかしたら、という課題は置いておくとして、確実なことは「(人間の)優劣の差はどれだけ自分を役立てるかによって決まることです。」これにどう応えていくかです。

 家庭生活や社会生活、中でも仕事において恐怖心や不安を克服し、愛を動機として奉仕していく。これに挑戦し克服していくことがまず自分には求められていると思っています。

 しかし人によっては、もっと過酷で困難な課題の克服を迫られるのかもしれません。