神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

アイデンティティの問題

 鏡に映るあなたがあなた自身ではないと言いますが、それでは一体私たちは何者なのでしょうか。どなたですかと尋ねられて何処の何某と申しますと答えてもほとんど無意味です。人を呼ぶときの記号を答えたにすぎないからです。

 私たちを私たちたらしめているアイデンティティは何なのでしょうか。

「霊が実在するーーーこのことを疑っておられるわけではないでしょうね?次に、われわれにも個性があるーーーこのことにも疑問の余地はありませんね?ではわれわれはいったい誰かーーーこの問題になると意見が分かれます。なぜかと言えば、そもそもアイデンティティとは何を基準にするかという点で理解の仕方が異なるからです。私個人としては地上の両親が付けた名前は問題にしません。名前と当人との間にはある種の相違点があるからです。

 では一体われわれは何者なのかという問題ですが、これまたアイデンティティを何を基準とするかによります。ご承知の通り私はインディアンの身体を使用していますが、インディアンではありません。こうするのが私自身をいちばんうまく表現できるからそうしているまでです。」(「シルバー・バーチの霊訓6」7章)

 私たちは何者なのか消去法で行くとすると、私たちは名前ではないし、身長何センチ体重何キロのこの身体でもありません。この身体を使って自己を表現しようとする何か(のさらに大元)です。


 これは難問だと思います。人生とは自分が何者なのかを一生かかって明らかにしていく旅路なのかもしれません。