神の愛を伝えたい・・・

シルバーバーチの霊訓より

リラックスの要

 以前見たパリの旅番組で、狭いスペースに自分だけの庭を作って、そこで瞑想するという若者が出ていました。そうやって瞑想することがとても大切だと語っているのが印象的でした。

 今回の文章を読んでいてそのことを思い出しました。

「リラックスと言っても、足を暖炉の上にでも置いて椅子にふんぞり返ることとは違います。身体の活動を中止し、静かに休息して内なる自我を取り戻し、その霊力が本来の威厳と力とを発揮し潜在力を覚ます機会を与えることです。

 あなた方の世界にはそういう機会がありませんね。目覚めている間にすることと言えばただせわしなくあっちへ走りこっちへ走り、その場限りの他愛ない楽しみを求めて、あたら貴重な時間を費やしています。そうした物的生活に心を奪われている魂のすぐ奥には、永遠に錆びることも色褪せることもない貴重な知識と叡智と真理の宝が、あなた方によって存分に使用されることを待ち受けているのです。一度手に入れたら永遠にあなた方の所有物となるのです。」

 私も休みの朝に狭い庭に椅子を出してボーッとすることがあるのですが、それはリラックスといえばそうですが、単なるそれではなくてむしろ瞑想に近いような気がします。そこに流れているのは虫たちの時間であり、植物たちの時間、太陽の時間です。「内なる自我」「霊力」との連絡を取るのに鍵となるのが、正確な表現かどうかわかりませんが時間感覚にあるような気がします。ただ心身の緊張をほぐすだけでなく、その波長が永遠の時間の流れである霊の波長に重なるのです。すると引用文にあるような霊的な宝を得やすくなるのではないかと思います。

「そして何にもまして、すべての光とすべての愛の大根源より発せられる荘厳な神的エネルギーの存在を自覚せしめます。それは決してはるか彼方の手の届かない場所にあるのではありません。すべての人間の魂に内在しているのです。」

 リラックスさらには瞑想の効用の肝となるのは、この魂に内在する天の宝に触れることなのではないでしょうか。

(「シルバー・バーチの霊訓2」1章)